宿題の忘れ方

    成績が悪かったわけではないが、夏休みの宿題のことを思い出すとなんだか苦い顔になる。
    先生に怒られたこともない、ドリルはそうそうに終わらせていた。提出物も出していた。

    この苦々しい気持ちにいま改めて向き合うと、やはり得意じゃなかったのはその自由性である。
    貯金箱とか、絵とか、絵日記とか、読書感想文とか、そういう、とりあえず何を書いても作っても良いが正解がよくわからないもの、不器用な自分では完璧を目指せないものへの苦手意識があったのだと思う。この前書いたこのブログではその「読書感想文への苦手意識」滲ませてみた。よかったらそちらもよろしくね。

    とにかく、思い出せば思い出すほど小さいころの自分はいまよりもずっとずっと完璧主義だったと気づく。
    セーラームーンを観て「ぼくも水野亜美ちゃんくらい頭よくなりたいな」と思うくらい自己理想が高かった。彼女のIQは300もある。

    大人になって、誰に頼まれるでもなく絵や小説をたまに描いてみたりして、気づくのは終わりがないということ。一方で夏休みの終わりは強制的な締め切りで、ほぼ絶対の提出を求められる。
    いまではそんなことは年に4回あるくらいで、自己満で作ったり諦めたり世に出したり出さなかったりしている。

    計画性も、妥協もあまり学べなかったような気がする。
    宿題のことを考えていたらそういう、コンプレックスの芽生え、みたいなものが発生した。

    だからいまこういう記事を書いている。diaryのタグでいまのところ3本くらい書いている。
    これはかつて途中で投げ出した日記のかわり。
    いまのわたしは半夏休み状態なので、あの頃を思い出しながら頻繁に更新しようとしている。

    どんなふうに続くのか、よかったら読んでお付き合いしてくださると嬉しい。

    今日のひとこと
    Twitterに投稿した4コマの「虐」の字が間違っていた。ヨじゃなくてE。

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