このブログでも何度も言っているが、わたしがK-POPにハマったきっかけはEXOの「Tempo」だった。スタンダードとアヴァンギャルドを瞬時に往来する身軽さに夢中になった。
なにより音の粒に、クリエイターたちの音楽への愛情を強く感じられたのがよかった。
それからしばらくして、EXO以外のSMアーティストやK-POPを聴くようになって感じたのが、EXOの「Tempo」に見た情熱の類は、SMのなかでもとくにNCT 127に集約されているということである。
SHINeeも、もちろんEXOも、Red Velvetも、NCT DREAMも、WayVも、aespaもRIIZEもNCT WISHも、どれも大好きなグループであり、わたしはEXO-Lであるのだが、音楽性で言うとわたしはNCT 127(今後はイリチルと呼ぶ)のなかにこそ特別を感じる。
とにかく新鮮であること、いつも
NCTのことを調べ始めて、メンバーを覚えはじめたころ、ずっと思っていた。意味不明やでこんなん、と。
当時SMのトップだったイ・スマンが笑顔で発する意味不明な文章を噛み砕くのには骨が折れたが、わたしが元々ハロー!プロジェクトのファンだったのでNCT U=ごまっとうだと考えられたことから、グループ・システムへの理解は難しくはなかった。
とりあえず、「デビュー・グループ」の枠に囚われず、流行に囚われず、トンチキなことをずっとやり続けているのがNCT。なかでもイリチルが一番変。その認識のまま4年間くらい聴き続けている。
個人的な勝手な思い込みとして、音楽に関する文章を書くシズニの大半がHIP-HOPに造詣が深いというのがあるのだが、わたしはHIP-HOPにとくに詳しくはない。
たまたま音楽を聴き始めたときにHIP-HOPが流行っていたので、”聴いていた”だけで興味はどちらかというとロックに向いていた。なので、こちらが的外れなことを言っていたら申し訳ない。
しかしそんな自分でもわかるのが、イリチルはHIP-HOPの面から見ても美味しいグループであろうということ。マークとテヨンというメイン・ラッパーを有しているが、彼らが特別な才を持っていることは素人でもわかる。そして彼らの言葉のキレや姿勢にわくわくすることは素人でもできる。トラックの選択やコンサートのグルーヴ感、どれをとってもゾクゾクする。昔聴いた、そして最近流行っているどのHIP-HOPと比較しても、楽しさを感じられる。
イ・スマンが追求した「変なの」が、楽曲の積み重ねでグループ・カラーとなり、それが音楽の面白みに繋がっている。
そもそもだが、悔しいことにイ・スマンはやはり音楽面の指揮に関してはほとんど間違いがない。そこにかける彼の情熱とセンスは疑いようがなく、いまなお続くイリチルの新鮮な音楽性を築いたことに関しては感謝せねばならないと思っている。
イリチルの真骨頂 ”フル・アルバム”
「フル・アルバム」の価値は年々なくなりつつある。
そもそもサブスクだし、通しで聴かないし、簡単に単曲買いできるし。
しかしアルバムで聴いたときの流れ、波、物語性というのは決して捨てがたいもの。自分にとって、いつまでも大事にしたい「音楽の聴き方」なのだ。
イリチルは、そんな”フル・アルバムの良さ”をめいっぱいに表現できるアーティストだと思う。
これまでリリースされたアルバムのなかでも出色なのは「NCT #127 Neo Zone – The 2nd Album」と「2 Baddies – The 4th Album」だろう。
テヨンとマークのラップ、テイル、ドヨン、ヘチャンのヴォーカルを2本柱とし、それぞれの色を持ったタレント性ある歌声が駆け回る。ときにHIP-HOPに、ときにR&Bに、変わり種と王道の音色を散りばめながら構成されたフル・アルバム。
わたしは前述した2枚は対となる魅力を放っていると考えている。
「Neo Zone」の良さはトンチキ感を「Kick it」に全振りした堅実な作りというか、(こういう言い方はあれだが)アイドルという枠を離れて様々なジャンルを高いレベルで成立させたアルバムだと感じている。SMあるあるなR&Bパートもこのアルバムでは非常に効果的に用意されていると思うし、そもそも「Kick it」のR&Bパートがイリチル歴代ナンバーワン級のパンチ力だ。
対して「2 Baddies」はイリチルのぎらぎら感をアルバム・コンセプトに活かした、彼らのアイドルとしての生き様を感じさせる一枚。9人のパートが細かく入れ替わるからこそ生まれるグルーヴ感を楽しめる。
日本のアイドル語りで多用され、かつ嫌われている”アイドル離れした”という表現も、韓国ではあまり使われない印象の”アイドルだからこそ”という表現も、どちらもイリチルには当てはまる。
アヴァンギャルド……ヘンテコな楽曲をのりこなし続けていたからこそどちらも余裕綽々で両立できてしまう彼らの境地。
これを楽しまずして何を面白がればいいのだ!
しかもイリチルの場合、それが単曲ではなくアルバム全体を通して持続するのだから毎度興奮してしまう。
フル・アルバムの間違いなさと言ったら、SMではSHINeeとイリチルの二大巨頭だと思っている。(もちろんEXOのアルバムも大好きですよ)
10年ほど前、指原莉乃が「アルバムのイントロダクションとかプレリュードまじで要らない、絶対飛ばす」みたいなことを言っていて当時は憤慨したものだが、もしかしたらいまの時代そちらのほうが多数派なのかもしれないなんて思ったりもする。
しかし「WALK」には入っていた。「Intro : Wall to Wall」が。
過去作を振り返ってみても、”Intro”という名義ではなくてもアルバムの構成を意識した、そういう役割の楽曲が複数ある。そういうこだわりって、長年音楽を愛聴しているとつくづく嬉しくなる。
「WALK」とテヨンソロに見る音楽愛
今年出たテヨンのソロには痺れた。
彼のお茶目なキャラクターはもちろんのこと、メンバーやファンに対する真摯な想い、そして自身の音楽活動に対する真剣な態度がひしひしと伝わってきたからだ。
昨年K-POP界で流行したクラシック・サンプリング、その儚さや美しさ、音色の質感も一時のトレンドとして捨てず、ソロ作品に抽出、還元させてくれた。テヨンの場合、これまでの発言や姿勢を見ているとそれもあながちわたしの勘違いではないと思わせてくれたりもする。勘違いかもしれないけれど。
そんな彼が入隊することになり、8人体制でリリースしたのが6枚目のフル・アルバム「WALK」。
不安も混ざる想いで再生してみると、まず感動するのがだいぶ前に入隊したはずのテヨンの声。9人の声が共存している音楽が、テヨンの入隊中にリリースされた驚きと喜びだ。
そしてフル・メンバーではステージ活動できないこの作品で、イリチルらしい楽曲のとがり方も面白みも少しも色褪せていなかったことへの感動。
MZMCが参加した表題曲「WALK」、Jeremy Tay Jasperが参加した「No Clue」にかつての「Tempo」の情熱を思い出しながら、どの曲にも通じる楽しく無邪気な態度にワクワクする。
テンションを落とした楽曲も年々深みを増している。イリチルはまだ進化するんだという期待が湧く。
自然とパートが増える悠太の歌声はより耽美に、ジェヒョンの声はさらにコクを増し。
それにやっぱりサウンドが楽しい。クリエイターたちが音楽にかける情熱、音楽愛というのはこういう作品でこそ強く感じられる。
うん、面白い。このアルバム、聴き返せば聴きかえすほど味が出る。
世界で流行する音楽もK-POPもトレンドは変遷していき、いよいよ今年は自分にとって薄味というか、物足りないと感じる瞬間もあった。けれど、イリチルが自分のなかの音楽鑑賞への期待感を蘇らせてくれたようだ。「WALK」には、NCT 127には、そんな情熱がある。
もしまだ聴いていない方がいたら、ぜひアルバムを通して聴いてみてください。