絶望との向き合い方

    昨日はくらった。宇多田ヒカルさまの言葉を借りるならば、「どうして同じようなパンチ何度もくらちゃうんだ?」という感じ。
    選挙の結果と好きな野球球団の負け方がどちらも悲痛で、TLがとんでもないことになっていた。

    こういうときはTwitter(意地でも新しい名称で言いたくない)を見ないのが良いのだろうけど、15年くらい続く習慣でついついアプリをタップしてしまう。あまりにも腹が立つので急いで眠った。微妙にいやな夢をみたけど、それでも日付はかわり、いつもと変わらぬ日常が始まる。

    自分のなかの正しさを見つめ続けるのは難しい。
    ましてやひとの行動をその正しさに付き合わせるのはもっと難しい。

    しかし、それでも「良い方向」を目指して生きていこうと決めた。
    そうしなければ社会はどんどん悪くなっていく。日本以外もそうだけど、せめて日本のことくらいは自分の頭でちゃんと考えて、社会でみて、選択していかなくては。

    料理をして、仕事をして、ひとと関わって、そういう生活をちゃんとして、また選んでいきたい。選ぶこと、怒ること、思いやることも生活の一部だ。それを切り離そうとするおじさんたちには騙されずにいたい。

    やさしくなりたいな。
    子どもの頃からずっとそう思っている。
    短気で、傲慢で、どうしようもない自分だけど、本当にちいさいころから、ずっとやさしくなりたかった。
    だから、他人にやさしい社会を作れるように、選びたい。
    やさしい政治家を選びたい。

    今後もきっとあんまりよくない世の中。
    Twitterを見たくないけど携帯を眺めたいとき、このブログを見たくなるようになんとなく心地よい文章をたくさん書いていきたいなと思う。自己満足だけどそれでいい。やさしい気持ちを書いていきたい。

    とりあえずどんなに絶望に近いような暗い気持ちになっても、諦めなければ物語は続く。みんなのもだよ。

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