高校のときの親友の名前をTとすると、大学のときの親友の名前もTだった。
イニシャルだからわかりづらいが、つまり同じだったということだ。
Tとは同じ大学の同じ学科の新入生歓迎会で出会った。
同じ県からその大学のために県外へ出ていた。緊張しながら、少し男らしさを意識しながら、話した。その新歓で出会った数人としばらくグループになるような形で過ごしたが、結果的にTとふたりで過ごすことが多くなった。
住んでいるマンションも同じで、その都合の良さから大学生活の4年間、ゼミ以外のすべての授業コマを一緒に合わせた。今思うと、なんでそこまでべったりだったのかわからない。
クィアとして自覚があった自分だが、彼に好意があったわけではない。
恋愛という面でいうと、わたしはヘテロに向いたことがないと思う。
ただ、高校時代の親友と名前が同じで、他の面に関しても、共通点が多く、ただただずっと一緒にいただけだった。
つまり、”一緒にいる”という繋がりの面では強烈な結びつきがあったはずのTだが、いま振り返ってみるとわたしは彼のことをほぼ何もわかっていなかったように思う。
彼が、高校時代をどう過ごしたか、マンションにパートナーを読んでどう過ごし、実家に帰ってどう過ごし、サークルでどう過ごし、バイト先でどう過ごしたか、そういう話を聞いて、聞き流して、サボった授業のレジュメを懇願しながら受け取り続け、一緒に授業を受け、一緒に昼食を食べ、一緒に夕食を食べた。
それでも、彼がなんで自分とそこまで一緒にいてくれたのかちっとも理由がわからない。
友人というのは、そういうものなのかもしれない。
隣にいると落ち着くという、親友っぽい条件をクリアしていたのか、わからないが、少なくとも自分からはそう思っていた。
彼とはよく、となりで道を歩いた。
大学へ、スーパーへ、TSUTAYAへ。
自転車で一緒に遠くまでいくことも多かった。
風が冷たい季節がくると思い出すのは、大学2年生のときの冬のことだ。
彼は、高校時代から続いていた彼女と別れ、バイト先で働く大学の先輩と新たに付き合い始めたのだった。
わたしは、「だから最近飯一緒に食わんくなったんや」と、友人を盗られたジェラシーのようなものを口にしながら、内心(まぁノンケなんてそんなもんか)と思った。
彼は、その彼女とどのように会っているのか聞きながら、「最近きみはどうなん?」と聞いてきた。実際のところ自分は表向きは何もやっていなかったので、なんもないよと答えた。
Tは、へぇと言って、黙った。そしてしばらくすると、「手つめてぇ」と言いながら、わたしの手を握った。そして、手を繋ぎながら、わたしの目を見て笑った。
そのまま、大学からマンションに続く道を、握った手をつよく振って歩いた。
わたしは彼のことがずっとわからなかった。
手を繋いで歩いたのは、あとにも先にもあの日の1回だけだ。
しかし、あれから10年ほど経ったいまでも、全く連絡をとることもないくせに、彼の顔が忘れられない。
この気持ちは決して恋ではない。
でもずっと、彼が頭のなかにいる。
こういう寒い季節になると、毎年頭のなかに現れる。
Tはよく、この曲が好きだと言った。